【犬好きなら知っているはず】犬将軍綱吉と中野区の衝撃の関係!
こんにちは!
この前散歩していたらペットショップを見つけたので立ち寄ってみたんです。
なかにはいろんな動物がいましたが、やはりひときわ目を引くのが愛らしいワンちゃんたち。
小さな子たちが昼寝をしたり遊んだりと、思い思いのことをしていました。
その中の一匹を抱っこさせてもらえたんですが、ふわふわモコモコで、「家に連れて帰りたい!」と思わせる力が超強力で。
「ごめんね、お兄さんの家では飼えないんだ…飼えないんだー!!!」
と自分の心に鞭を打ってその子をお返ししました。
でも家族の一員としていつかは家にお招きしたいなと思います。
中野区は犬将軍徳川綱吉と深いつながりが……!!
そんなワンちゃんですが、実は中野と深い関係があるのをご存知ですか?
歴史の知識がある方ならまず知っているであろう「生類憐みの令」。
生類憐みの令とは?
これは5代将軍・徳川綱吉が制定した、「犬・猫・鳥・魚類・虫などさまざまな生き物はすべて殺してはならない」というお触れのことです。
はじめは「殺してはならない」ということだけを禁止されていたようですが、あとから「犬、猫、ねずみに芸を覚えさせてはならない」といった処罰や、「鳥の巣がある木を切ってはならない」といったルールまで作られたようです。そして違反したものは島流しや切腹といった重い罰が与えられていました。
CMでおなじみ犬屋敷
お触れの中でも犬は綱吉がとくに可愛がっていたこともあり、なんと犬をかくまう「犬屋敷」なるものまで作ってしまうほどだったんですね~!
そりゃあ、江戸人たちからは犬公方と呼ばれるわけですよね。
そんな犬屋敷があったのが、実は中野なんです。
広すぎる犬屋敷
綱吉は中野区役所を中心に、約30万坪の土地の犬屋敷をつくって、そこに約8万頭もの犬を住まわせていました。
30万坪という土地は
、東京ドーム20個分の広さ。
それを考えると、当時の中野の犬の比率がどえらいことになっていたのが想像できると思います。
しかもただ野放しで養うのではなく、エサを与える場所、日が当たらない場所、子犬を育てる場所と設備や管理が行き届いていて、今でいう獣医や役人も配備されるという徹底ぶりでした。
まさに犬のための街が中野にはあったんですね。
生類憐みの令は綱吉が亡くなるとすぐに廃止されました。犬屋敷も廃止されましたが、住んでいた犬たちは中野の住民たちのもとで面倒を見てもらっていたそうです。
現在は「犬屋敷があった」ということを伝える石像が現在の中野区役所前に残っています。
画像引用元:https://blog.goo.ne.jp/t-daxy/e/7e63e8a21400406b3d47785ee8c86b9d
犬の石像は全部で5体。草場で子犬と一緒に丸まって眠る犬や座って遠くを何かを見ているような犬、伏せをして指示を待っているかのようなポーズの犬、遊びに誘うかのようにお尻を上げているポーズをする犬もいます。
その犬に近づいてみると、どの犬も毛並みや皮膚の質感がリアル。
今にも動き出しそうな犬たちばかりです。
画像引用元:https://blog.goo.ne.jp/t-daxy/e/7e63e8a21400406b3d47785ee8c86b9d
説明書きには「この付近一帯は5代将軍・徳川綱吉に作られた犬屋敷があった場所である」という内容が書かれています。
説明書きを見ないままでこんなにリアルな犬の姿だけ見たらびっくりしちゃいそうですね(笑)
中野に来た際には、ぜひ犬屋敷跡に足を運んでみて下さい。
ではまた!